そみみんのパルプンテブログ

初代おはガールが語るテレビの裏側

風鈴が突然割れた

去年のほおずき市で買ってずっと窓ぎわに飾ってた風鈴が今日突然割れた。

 

去年の夏、だいぶ精神倒錯してた中、ラスコリニコフがセンナヤ広場に悪魔的な導きでたどり着いたのと同様な感覚で、一人でほおずき市にたどり着いて、ほおずきと風鈴を買って帰った、大したことはないがなぜか深く印象に残っている一日があった。

 

ほおずきの花言葉は、偽り、ごまかし、疑い。

自分にぴったりだ、なんて去年は思っていた。

買ってきたほおずきは、保つといわれた一ヶ月を大幅に下回って一週間で枯れた。

残った風鈴だけが毎日か細く儚い音を奏でていた。

 

そんな思い出のあった風鈴だったが、これが割れたと言うのは、偽りの自分の薄っぺらいガラスの殻が、とうとう今年の夏の終わりに割れて、新しい風を受ける準備ができたしるしかな、と、ポジティブな方向で勝手に感傷に浸ってしまった。

 

そのように感じられるほどに、今年は心身ともに充実している。

自分の将来が、特に定まることはないものの、そのモヤモヤを追い求める勇気が湧いたと言うか、一生そのモヤモヤを追い続けるのだろうと言う、いい諦めができてきたように感じる。

 

もちろん実体の見えない未来に対してまだまだ臆病にもなるが、家族を始め、今まで関わってきた人々やそこで生まれたエピソードに想いを馳せれば、ちょっと、自分人生いい感じじゃね、って思えるくらいにはなってきた。

 

しかしそれは何より、嘘偽りばかりにまみれて過ごしてきた中高6年間の果てに、絶大に莫大な虚無感を抱え、死を考えるほどに思いつめたが、しかし、その過去を全否定してゼロから自分をやり直そう、と決めた、若く誤った熱狂を孕んだ自分の魂のいじらしいほどの潔白さのおかげだと思う。

 

「欲深く、煩悩にまみれて何もかもを楽して手に入れようとして空回った中高生活。

そこで送った6年間、つまり大体2億秒は、1秒残さず全て無駄だったのだ。」

そう信じることでどうにか新しい自分、新しい未来を見出そうとした自分の、神経質な若者らしい青すぎる熱狂に、無限の賞賛を送りたい。

 

去年の夏の倒錯の例を挙げる。至るところにあるトイレで逆立ち腕立てをしたり(その後そこで爺をすることもしばしば)、ピアノの練習に打ち込んだり(ショパンの革命のエチュードと幻想即興曲を弾けるようになった。坂口健太郎よりはうまい自信あり)、暇さえあればプールへ行って泳いだりしていた。

夜は四月は君の嘘のアニメの音声だけを20周くらい聴いた。なぜ四月は君の嘘だったのか全くわからない。セリフの大部分を覚えてしまった。それか催眠音声を聴いていた(爺誘導の。)

 

文字にして見返すと可愛いもんだ。去年は絶望的な気持ちで溢れながらこれらを実行していたが、今振り返ると大したこともない普通のよくある逃避行動にすぎないなあ。

 

心は病気すぎるくらい病気だったが、体は健康すぎるくらい健康だったのだろう。

若者の辛味である。

 

自分のこのめんどくさく面白い性格、そして頭ではぐちゃぐちゃ考えているくせに精神面は信じられないほど弱い、と言うかガキのまま全く成長していないところ。

 

一年前はそんな自分を投げ出したくてたまらないとしか思っていなかったが、一年経ち、やっぱり、なんだかんだ、毎秒毎秒が全部等身大の自分じゃないか、とほっこりさえしている。

 

中高生活を「嘘偽りでまみれて過ごした」ことにしたいのも、単に、自分の中での整合性を損ないたくなかっただけ。打たれ弱い完璧主義人間にありがちな逃避思考。

 

今、それらの過去を可愛いと思う一方、一貫して存在している自分のどうしようもなさを、どうにかしっかりコントロールしていかないとなあ、と言う現実的な目線も生まれる。

 

が、今までの経験則上、頭で筋書きを考えて実行しようとして満足に行ったこともないので、結果、中1の時適当に自己紹介で書いた、「なるようになる」と言う言葉を、再び、適当に使う時がきたのだろう。

 

なるようになる。

もう、風鈴は割れたのだから。

 

 

 

水無月うみ「風鈴」より

 

 

いやあ、いいお話でした。

次回は水無月うみ「線香花火」より、感動した部分をピックアップしてみたいと思いまする〜〜〜〜。。